雑記もろもろ。

オタク的所感の備忘録

永遠結晶にまつわる諸々の妄想もとい考察

せっかくの前後編構成、後編が出るまで設定部分の考察をしてみようと思う。
永遠結晶とユーリ、イリス、そしてエルトリアとフォーミュラスタイルの関係性って部分。
ただかなりの部分は考察進めるうちにひらめいた想像なのであまりあてにはならないしオチもありません。


結論先に書くと、ユーリはエルトリアにおける闇の書的デバイスの管制人格で、永遠結晶とはA'sにおけるエターナルコフィンの完成形、
ユーリを封印する為にこさえられた何かなんじゃなかろうか。


確かなのぽにおける永遠結晶とは闇の書の構造の奥の奥にある圧倒的な力の源だったような気がする(全く覚えてない)
ただ今回は闇の書とは完全に別物で、しかし闇の書、と言うよりナハトヴァールの力とユーリはルーツを同じくしているように思う。
ナハトヴァールとはたまたま跳躍してきた夜天の書にユーリのプロトタイプとしての機能を搭載したもの、それは星の再生の糧とする為。
あるいは、次元跳躍してきたナハトヴァールの機能を見てそれに近いものを再現したのがユーリなのか。
どっちかと言うと前者で、研究を続ける内に暴走したユーリがエルトリアの環境を破壊して、それにかつてのイリスが巻き込まれた、って話なんじゃなかろうか。
ナハトヴァールがエルトリア由来か、ってとこは多分に想像だけど、その他については後でもう少し掘り下げて考えようと思う。


なぜ力が同じと思ったか、ってのは一瞬の捕縛以下のくだりでふるわれるユーリ由来の力って闇の書のそれと同じじゃね?と。
闇の書が生命力を吸う描写は今回のリンディさんの回想にもあったあれと、ヴォルケンズが闇の書に取り込まれる描写とがわかりやすいけども。
本来なら際限なく吸収するそれが重傷程度で済んだのは、イリスがウイルスコードとやらでユーリの管制権を掌握して匙加減を上手くしたからなんだろう。
このウイルスコードは、かつてユーリに痛い目を見せられたイリスが復讐の為に開発した何かなのかな。
ユーリの様子を見るに、2人はかつて友達だったようにも見えるけどもこれ以上はかなりの想像の域に入るから置いておきたい。


そしてここで考えたいのがユーリのふるう力とフォーミュラスタイルの関係性。
アミキリ姉妹がふるうその力は父親から貰ったものと言っていたけれど、その力にはユーリの力を相殺する何かが搭載されているらしい。
キリエが動けたり、なのはのフォーミュラ砲で駆逐されるのを見てもそれは明らかだけれども。
娘に与えた力になぜそんな機能があるのか、この理由はかなり重要なファクターだと思う。


これが過酷な環境を耐える為、となると、エルトリアという星にはユーリがいないにも関わらずユーリのふるうような力が常在している事になる。
それほどまでにかつてユーリが起こしたであろう暴走は激しく、それがエルトリアという星が緩慢な死に向かう原因となったのだろうか。

また、なぜグランツ博士はそのような機能を開発し得たのか、そしてイリスはそれを把握し、アルターコードとしてのオルタすら搭載出来ているのか、
これも単に偶然開発出来たもの、みたいな話じゃなく、かつて博士もユーリの研究に携わっていて力の原理を把握していたからなんじゃないだろうか。
イリスがキリエに他人には秘密に、と言ったのには博士と接点を持ちたくない何かしらの過去があるのかもしれない。
そして、博士が星に残り再生を図る本当の理由、それはかつて星に致命的なダメージを与える程の事態を引き起こした事に対する贖罪なのでは、と。


ひょっとしたらそこらへんは単純に体内循環するナノマシンの副次的効果、ナノマシン万歳、的な軽い理由なのかもしんないけどね。
最初考えてたのは単純にユーリとアインスの立ち位置同じじゃね?って事でしかなかったんだけどなぜこんなことになったのか………

Invisible Heatっていうおそらく最大のネタバレ

ついに魔法少女リリカルなのはReflectionが公開されました( ;∀;)

去就した万感の思いはリアルタイムの感動のうちにほぼ全てTwitterに書き残したけど、唯一まとめられてないInvisible Heatへの思い、
これは長文媒体で一気に長文厨するのが一番だと思い久々に立ち上げました。


この曲については複数回印象が変わってます。
まず第一印象、劇場で初めて聞いた時はただひたすら「ずるい……(その場に崩折れる)」という思い。
リンディさんの家族を思う心、私はいつも1人じゃなかったよ、というシーンで入るかつて見た幸せな夢、
とどめにアリシアちゃんの遺した力で(?)傷を癒やす、どれをとっても殺しにきてんのかお前は、ってぐらいの勢いのぶっ刺し具合。
そしてバトルシーン、シリーズ全部通しての挿入歌の入る展開と180度方向性が違って結構面食らったんだけど、
シリアスじゃねぇ!クソ!みたいなの全くなくてそれが何でか、って考えたらフェイトちゃんが凄く楽しそうだからなんですね。
曲調としてはどっちかと言うとシリアスさの方が合いそうなんだけど、どこかピントのずれたレヴィの言動をあやしたりしょうがないなぁ、
と付き合ってあげるようなお姉ちゃん力、なんと言うか温かな愛に拠った戦い方で、そこが凄く見てて心地いいな、ってのが初めてあれを見た印象です。


次に印象が変わった、と言うより激しく心動かされたのが劇場で初聞きは達成したし、とヘビーリピートを始めた時に気づいた「抱きしめているよ」「守られているのさ」
というどこか飄々としたでも温かい語りかけをするフェイトちゃん。この歌はそういうアプローチだったのか!と。
これまでの挿入歌は基本的に全て、君がいてくれるから私は弱さに向き合って立ち上がれる、一緒に往こうよ、っていうスタンスのバリエーションだと思うんだけど、
今回は自分じゃなくて相手に向いてて、あまつさえ私が君に手を差し伸べられたら、っていうこれまでとは真逆のベクトルなんですこの歌詞。
基本的に自分の中にベクトルを向けていたフェイトちゃんが相手に向けて愛を向けている、それだけでもエモい(語彙力のなさ)


そして最後の激しく頭ぶん殴られたような衝撃、
Reflectionの作中でこの挿入歌が流れる文脈が上記の通り、って事でしばらく気づかなかったんだけど、
今書いた事も踏まえた上でこの歌詞はフェイトがなのはに向けたものなのではないか、っていう。


今作のなのはは、言葉は悪いけどちょっと不自然とも言えるほど相手を救う事に命を賭けてて、それについてアリサもこのまま消えてしまいそうな(うろ覚え)、
という明らかに独り隠した哀しみを胸に戦ってるように見えました。そしてパンフの都築のおっちゃん談にもあった通り、後編ではなのはという人物が少し掘り下げられますよ、と。

前編の悲壮さはそこに対する布石なのは明らかなようには思うんだけど、ここでこの歌で描かれてる相手の事を考えると
その悲壮さがパズルのピースのように全て当てはまっていくんです。この歌は何かしら悲壮さを抱えたなのはに、
かつて手を差し伸べられたフェイトが今度は私の番とばかりに温かな愛を差し伸べるそんな歌なんじゃないかなって。
作詞が岩里さん、っていう事を踏まえると作中の文脈を汲む事と言葉の使い方についてはたぶんきっちりと押さえられてて、
となるとこの歌は前編では描かれなかった要素の先出しではないか&実はこの挿入歌と流れるシーン合ってないじゃんw っていうそんなお話。
フェイトが今度は私が、っての考えただけで正直涙が出てくる程感動してるし、そこにもってきての「いるのさ」っていう囁きかけがもう言葉にならないぐらいの(以下略
後編で具体的にそういうアプローチが出てくるといいなぁ。


ただ、今こうしてある程度感想がまとまった今でも今回の挿入歌バトルに対する印象はほとんど悪くなってなくて、アホの子力&お姉ちゃん力って偉大だなー、と思う次第です。

出雲の奈々さん

出雲大社に詣でてきました。

元々は買ったアルバムのチケワンチャン当たれば、が当たらなかったんだけど、せっかく中国ちほー公演だし
会場推しをしたい&出雲大社に参拝したい!ってのが強くてギリギリで予定を合わせてチケもないのに会場推しに走りました。
ただ、チケもないし久々の日曜休みだし急いで行かんで家族サービスでもするか、と色々した結果予想外に長引いて出雲大社に着いたのは17時過ぎ。
どうもCD2作リリースの発表は聞き逃してしまったみたいでした。
今回愛と縁がテーマのライブだったみたいなので、家族を優先した結果間に合わなかったことは自分の中ではよかったのだけれど。


着いて一番「音漏れってレベルじゃねえ!」っていうかなり離れた駐車場までクリアに聞こえてくる歌とMC。正直ワロタ
ステージ近くまで行ってみると参道の真横、布一枚で隔てた場所でライブしてて、ステージ見えないようにはしてるけどモニターがしっかり見える、っていう見切れ席状態。
野外ライブの音漏れってのは多々あれど、あそこまでの至近距離で音漏れ聞けるパターンはそうないような気がします。



今回のセトリははっきり言って異彩でした。
いわゆる奉納公演、って言葉のもつイメージはゼロ通り越してマイナスだった気がしますw

ただ、一晩経って思い至ったのは、今回神に奉納したのは直接的な祈りや感謝ではなく、
自分の築いてきた愛と絆、とりわけファンとのそれで、そんなファンと作る背伸びしない等身大のライブだったのかな、と。
そう考えると神への祈り分がほぼゼロだったのにも納得はいきました(?)
個人的には、かつて島根で初公開されて、切ない絆と健気な決意を詩った愛の歌BRIGHT STREAMがこなかったのが残念無念だったけど…


底冷えのする4月とはとても思えない気温だったけど、それだけに寒さを吹っ飛ばすアツ(苦し)い愛と絆は出雲の神々にきっと好意的に受け止められたんじゃないかな、と思ってます。

ViVid Strike!となのは

オタク的備忘録の一つ目の話はやっぱこれだな、と特になやむこともなく落ちついた。


このアニメの第一報を見た時、一番最初に感じたのははよ3rd(略 ではなくて、このアニメはどういう商業的な意図で生み出されたのだろうか、といったことだった。

誰がどう見てもなのはの世界の延長線上の話、なんだけども絶対に明言はしないしキャストになのはとフェイトもいない。
今後なのはってコンテンツはどういう展開をしていくのだろうか?

3rdが動いてたことを知らなかったあの時強く感じた事は、このアニメから感じるある種の強かさだったように思う。
不思議と先行きへの不安やよくわからない展開への怒り、みたいなネガティブな感情はほとんど沸いてこなかった。

なのは、っていうある程度地力があるコンテンツとそのファンを利用して、
小倉唯水瀬いのり、次世代のキングレコードを担うだろうこの2人の地盤を固める一助にしたい、っていう思惑と、
地力はあるけどお金を集めるには旬を過ぎてて難しい、っていうなのは側がコンテンツ力を商材に、
2人を売り出す名目で今後への金を集めてきてる、っていうそんなニュアンス。あくまで邪推でしかないのだけれど。

蓋を開けてみればただ商材としてのコンテンツ力だけじゃなく、なのはって作品がもつlyricalさを存分に踏まえた素晴らしい楽曲が生まれて、
今後2人の代表曲になるんじゃなかろうか、ってぐらいのものになったのは嬉しい限り。



作品そのものについての感想もいつかまとめたいなー