雑記もろもろ。

オタク的所感の備忘録

見えない温もりに護られたなのはちゃん

2週目のウィークリームービー、なのはちゃんはやっぱ確定で腕なくしてたのね(そして皆が総力をあげて治療)、ってとこでふと「あっこれ無印WILD ARMSぽい文脈だったんだな」って思いに駆られました。
WILD ARMSのそれは、主人公が腕を失くした際に自分は人間でない事がわかって意識も失い、仲間の尽力で腕は新しく造られるもどうしても意識を取り戻さない。
その内心に仲間が「あなたは皆に愛されてるんだよ!」と寄り添って主人公が立ち直ると同時に、自分を好きになれなかった仲間も本当の愛を知る、って文脈。
当時はエヴァっぽいと言われたとかどうとか。


今回の物語の腕を失くす文脈とは趣もベクトルも違うのだけど、友達からの、外からの直接的なアプローチで自分は愛されてたんだ、と自信を取り戻すのではなくて、
私はこんなにも周りに愛されてたんだ、って事を自分自身内心気づいてて、ただそれを踏まえた上で
「いつかきっと自分を好きになれるから無理はしなくてもいい、大丈夫大丈夫」
っていうどこか飄々とした優しさが、自分を好きになれなくて哀しむ心を温かく包んでくれる、っていうそんな流れだったように思います。


リリカルなのはの物語において、基本全て周りから向けられた直接的な優しさに頑なな哀しみが絆されていく(君の哀しみを僕も背負えたら、というベクトルのvvstだけは別でした)、っていう流れがあって、今回のキリエもそうなのだけど、
今回のなのはだけは周りから向けられてる優しさに自分自身の力で気づけたこと、それに触れて劇的に変わるのではなく変わってゆくきっかけを掴めたんじゃないか、ってこと、
この2つが軸になってこれまでのリリカルなのはとは違う、それはこれまで一番なのはに向き合ってた無印ですら、
と言えるかもしれない新しいアプローチだったのかなぁ、というのが最終的に行きついたなのはちゃんのモノローグの印象でした。
人は急には変われないし変わる必要もない、ただ自分に向けられた優しさや温もりにはまっすぐに向き合うといいよ、っていうネガティブの中にもある前向きな自己肯定とメッセージ。


そしてその優しさはInvisible Heatの「守られているのさ」といったニュアンスに凄く通じるものがあるように思います。
見えない温もり、それはずっと友達から向けられてたものでもあり、内面世界の自分自身からのものでもあり、
今回それに初めて気づいて、ただ自分を好きになれないだけの自分を支えてくれる温もりがある、それにさえ向き合っていれば今は好きになれないままでもいい、
っていう前向きな結論にたどり着けたんじゃないかな、って。そして今ではないいつかその先に、胸に閉ざした全てを叫ぶようなそんな物語が繰り広げられる事もあるのかな、と。
自己否定、というより自己肯定を出来なかった自分の終わりと、愛に向き合う事で始まる心の成長との交差点。いつかは叫ぶよでもそれは今じゃない。



この先続いて欲しいような、少女時代の物語の終わるひとつ綺麗な区切りとして締めて欲しいような、複雑なところじゃあるんですが、
いつかリリカルなのはってコンテンツが本当に終わるその時まで寄り添い続たいなぁ、と昔考えてた事を改めて感じた映画でした。ありがとう魔法少女リリカルなのは( ;∀;)