雑記もろもろ。

オタク的所感の備忘録

総選挙で完成した夢見りあむとかいう炎上芸アイドルの個性

夢見りあむたそ3位(∩´∀`)∩


今回凄いと思ったのは、デレステで実装されたいくばくかのコミュと、総選挙高順位で彼女が吐き捨てたセリフ、
これが見事なまでに噛み合って夢見りあむ、っていう一アイドルの個性が完成したとこ。
それもただのアイドルではなく、「いきなり担ぎ上げられて、努力もしないまま実際に人気が出てしまった」、という唯一無二のシンデレラガールとしての個性が。




コミュで明らかになったのは彼女のアイドルに対する真面目な考え方と、少なくとも自分自身は全然それに見合うそれではないしそんなん病む、っていうある種のリアルさ(あえてクズとは書かない)
ここまではありがちなキャラっちゃキャラで、むしろもっとクズに描くべきだろ!こんな実はいい子ちゃん出してどうする!みたいなのもクズ期待界隈から出てたのも覚えてる。



はっきり言ってこれだけじゃ夢見りあむというアイドルは始まる前に終わってただろう。でも、総選挙を踏まえての

『私努力してないじゃん、アイドルって何なんだよ!!』

っていう心の叫びとそして病む…、と締めるスタンス、これで彼女は1人のキャラとしての確かな血肉を得てしまった。



圧倒的な天賦の才によって周りに愛され、努力は二の次でアイドルとして駆け上がってゆくアイドルってのはいる。
でも夢見りあむ自体にはそんな天賦の際は何もなく、ただキャラが面白い、っていうメタ的な観点から人気なわけだけど(それも才能の1つかもしれないけど)、
それはあくまで作品の外の事情、作中のりあむは知る由もない。


そしてりあむのキャラがウケて人気出た、ってのがただ作中の都合のいい設定ではなく、実際にこう数字に見える形で確立されてしまったわけだけど、
それに対する答えが「アイドルって何なんだよ!病む…」
これ総選挙っていうシビアな数字の世界&支持したファンに対するある種冒涜(絶対的な、ではないけれど)で、
炎上コメントとしては100億点だと思うんですね。しかもこれを高順位から言い放させちゃう。



ともすれば炎上ありきでわざとキャラに言わせてるだけだろ、ともとれる発言だけど、りあむのこれは全くそんな事はない。彼女のリアルな叫びとしてすんなり受け入れられてしまった。
それが何でか、って言うとコミュで描かれた彼女の在り方としっかり噛み合ってるから。
こんな自分がアイドルでいいのかよ、努力してないじゃん、こんなん人気出させていいのかよ、オタクちょろすぎるだろ、あぁ病む…
あの煽りコメントのエッセンス全てが彼女の一キャラとしての考え方にしっかり裏打ちされていて、この瞬間一(炎上系)アイドルとしての彼女が完成した。



もしこの先妥当に一発屋で終わっても、そこには一発屋人気でよかったと安心した気持ちと、アイドルとしての人気が続かなかった事に対する苦悩や自己嫌悪を同時に抱えて、
最終的に燃えやすいコメント吐いてそれなりの人気(?)が出る彼女の姿がありありと浮かぶ。そんな未来を見せてくれた、しっかりとしたキャラを打ち立ててくれた事にお礼が言いたい。
ありがとう。

うちのメイドがウザすぎる!とかいう去年一番の名作

めっちゃくちゃ楽しかった!!!本当に素晴らしかった!!!!!



内容的には金髪ロリがガチムチのロリコンスーパーメイドとその友人(?)に振り回されたり

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って表情をするセウトな変態アニメです。
とりあえず1話Aパートだけ見てください。そこまででいける、と思ったらいけます( •ㅂ•)و✧

ただ、最終回での心の在り方、立ち位置の対照さには不覚にも心打たれました。ただの変態アニメが名作に化けた瞬間。今年最高です(下書きをやっと完成させたのでもう去年の話ですが)


金髪ロリ(以下ミーシャ)は母の死をきっかけにずっと心を閉ざしていました。
死んだ母との思い出の部屋を誰も入ってはいけない開かずの間として、時には母との思い出に浸る為にずっと籠もり続けたり。
息をするように変態行為を働くスーパーメイド(以下つばめ)も、そこだけは絶対に踏み込んではならない聖域としてミーシャを尊重し続けていました。


そんなミーシャもつばめとの心の交流(オブラート)がきっかけでヒキコモリから脱して、つばめのおかげで友達も出来て、そしてその友達が初めてお泊りに来たのだけど、
夜中にトイレに起きた友達が恐い思いをした時についうっかり開かずの間に入ってしまうんです。
そして翌朝誰かが踏み入った事を知ったミーシャがぶっ壊れた目で「まさか友達が…?」と激高しかけたのを察したつばめが「私がやりました」ととっさにかばい、2人の間には決定的な亀裂が生じる、
というありがちと言えばありがちと言える文脈で最終エピソードは進んでいきます。


そしてつばめに明かされるミーシャが本当に激高した理由、それは開かずの間、母との思い出の部屋に誰かが踏み込んだ事自体ではなく、
踏み込んだ事が分かった時に思ったほどの心の傷を受けなかった自分自身に対する怒り、
自分はあんなに好きだった母との思い出をないがしろにしている、母の事を忘れて楽しく生きてる事に対する自己嫌悪だった、と。
それは母との別れから確実に立ち直ってる、新たに心の拠り所を見つけられてるという証左なのだけど、幼いミーシャにはそれが分からないんです。


つばめはミーシャに自分の身の上を語ります。
自衛官パイロットだった父が急死して、それを受け入れられなかった幼いつばめは母から「お父さんは空の上に行ったのよ」と聞かされます。
「空にいる父さんに会いたい!」という思いだけで父と同じパイロットを志した彼女は、順調に自衛官となり父と同じように空を飛びます。空にいる父に会う為に。
その後目を患い結局は自衛官の職を辞するのだけど、結局のところ自分はいつまで経っても父との思い出から離れられないし、親離れできないまま惰性で生きてきた、と。
父との思い出を心のばねに生きてきたのだけど、その先に得られたものがなくて空っぽなまま今に至ってるんですね。


そんなつばめをミーシャは「失ってばかりの人生じゃない!」と悲しむのだけど、それにつばめは「それでも余りある幸せをあなたとの出会いで得られました」と答えるんです。
そして駆けめぐる1クール分の思い出たちの走馬燈


母との思い出の中にしか世界がなかったミーシャの心を新しく拓いたのは、父との思い出の世界から離れる事の出来なかったつばめでした。
父との思い出を引きずり続けて生きてきたつばめに新しく導を示したのは、母との思い出の中に生き続けてきたミーシャでした。
ある種比翼の鳥とも言えるその関係性と、それを確かめ合って2人共に明るく前を向いて歩き出す、そんな描写に去年一番感動したと言っても過言ではないかもしれません。
ひょっとしたらそれは依存する先が新しく置き換わっただけなのかもしれないけれど、もし2人がこの先別れたとして、それを引きずり続けて生きることはないだろうな、
という前向きさは確かに感じられました。本当にいい話だった…………

どうしても咀嚼しきれなかったNEVER SURRENDERという名曲

Detonationの感想で唯一残してた主題歌への感想、ある程度は頭の中で固まってて、でもこのまま永遠に塩漬けにしようか悩んでたのだけど気持ちの整理をつける為に言葉にする事にしました。
ぶったけネガティブです(´・_・`)


結論言うと「何でそんなにネガティブなメロディなの?!!」なんですね。好きな曲調だけど、本当に好きな曲調なんだけど『この物語を象徴するに相応しいメロディなのだろうか』ってところで。
嫌いなら1月以上こんなにも悩まずに「この曲はないわ!!」って公開直後に嘯いてたと思う(/_;)


Detonationの物語をざっくり総括すると、「なんか騙されてたり悲しい過去もあったけど色々丸く収まって前向きな結末にたどりつけました」って流れで。
最後に行き着いたのは雨上がりの未来、止まない雨はないし抜けないトンネルはなかったよ、的なポジティブで明るい結末だったと思うんです。
マテリアルsは命を失う事なくエルトリアに還り着いて、そしてユーリの分け身としてその魔導をふるう事でエルトリアはある程度の希望の光を取り戻して、
「父さんが眠る時はきっと私達の育てた花に囲まれて」という、アミティエの子供の頃のささやかな夢さえもきっと叶えられていて。イリスも家族の一員として暮らしていて。
そしてなのはが独り隠した哀しみも友達の温もりで1つの転機を迎えていて。
(2nd)A'sの時のように幸せを得る代わりに何かを喪った哀しみはなくて、これ以上なかった幸せな結末だったんじゃないかって。


でもこの曲このメロディ、雨上がりの未来を歌った曲ではないと思うんですよね。どうしても。
あえて形容するなら降り止まない雨の中、それでも私は諦めない、と目に強い不屈の意志を宿して運命に立ち向かうような。
確かに物語本編にはそういう性格もあったとは思うのだけど、その先に掴めたものは悲しみの残る結末ではなくて底抜けに明るい未来だったのに。


これがたとえばマテリアルsの命が恩返し砲で失われてしまってたり、皆でエルトリアに戻りはしたけど、死にゆく星を救う、までは至らず足掻くような日々が続いてたり、
などといったどこか物悲しさの残る結末だったとしたのならこの曲このメロディはこれまでの劇場版主題歌のように、あるいは過去のそれ以上に物語を象徴する名曲だったと思います。
そういうメロディ、そういう歌詞だから。



これまでのなのは劇場版の主題歌は、完全なまでに物語を象徴するメロディ、歌詞でした。
出会いとその先にある未来への前向きな想いを歌ったPHANTOM MINDS、物語の中で喪なわれたものに対するイノセントな祈りを歌ったBRIGHT STREAM
そしてDestiny's Prelude https://fusetter.com/tw/zwILA


翻ってNEVER SURRENDER、リリカルなのはDetonationの主題歌としてではなく、純粋な1つの曲として見た時に1つ激しく好きになった要素があって、それが初めて聞いた時に感じたこれ


>これまでの主題歌は哀しみや切なさに寄り添う優しさを空への祈りに昇華させたような歌、メロディだったけど、これは哀しみは哀しみのまま決意に変えて空じゃなくてただ前を見据えるそんなベクトルを感じる

>正直なとこ、NEVER SURRENDERてワードに何1つピンときてなかったしどうなんそれ、ってずっと思ってたけど、哀しい運命と「諦めない」、よりもっと強い打ち負かされはしない≒降伏はしない、ってところでこの言葉なのかな、と初めて得心はいった


単純にメロディと歌詞だけ見た時に、このNEVER SURRENDERという曲はDestiny's Preludeと対になっているようには思います。
切なさだけが満ち満ちた前編のメロディに対して、切なさを胸に強く前を向いて立ち向かう意志を歌ったNEVER SURRENDERのメロディと歌詞、
これまでの主題歌にはなかったアプローチだし、上のふせったーで比翼の鳥連理の枝になれたら、という思いを書いたのですがそうなってる、って言ってもいいんじゃないかな、と思うぐらいには好きなんですこの曲このメロディ。でも以下略


このメロディを活かす為にどこか哀しみの残る結末を用意して欲しかった、とさえ思ったり、この文章を書いてる約2時間の間ずっとNEVER SURRENDERをリピートしてたぐらいには好きです。
ただ、個人的にNEVER SURRENDERに対する今の自分の状況や想いはまさにこの歌に歌われてるそれに近くて、ならこの歌への想いをこの歌に投影すればいいんじゃないか、
とこれを書いてるうちに思えるようにはなりました。
哀しみ、ってほどではないのだけど、言葉にしてまとめるべきか1月以上悩みに悩んだこの葛藤を大事にはしようと思います。
NEVER SURRENDER(´・_・`)

見えない温もりに護られたなのはちゃん

2週目のウィークリームービー、なのはちゃんはやっぱ確定で腕なくしてたのね(そして皆が総力をあげて治療)、ってとこでふと「あっこれ無印WILD ARMSぽい文脈だったんだな」って思いに駆られました。
WILD ARMSのそれは、主人公が腕を失くした際に自分は人間でない事がわかって意識も失い、仲間の尽力で腕は新しく造られるもどうしても意識を取り戻さない。
その内心に仲間が「あなたは皆に愛されてるんだよ!」と寄り添って主人公が立ち直ると同時に、自分を好きになれなかった仲間も本当の愛を知る、って文脈。
当時はエヴァっぽいと言われたとかどうとか。


今回の物語の腕を失くす文脈とは趣もベクトルも違うのだけど、友達からの、外からの直接的なアプローチで自分は愛されてたんだ、と自信を取り戻すのではなくて、
私はこんなにも周りに愛されてたんだ、って事を自分自身内心気づいてて、ただそれを踏まえた上で
「いつかきっと自分を好きになれるから無理はしなくてもいい、大丈夫大丈夫」
っていうどこか飄々とした優しさが、自分を好きになれなくて哀しむ心を温かく包んでくれる、っていうそんな流れだったように思います。


リリカルなのはの物語において、基本全て周りから向けられた直接的な優しさに頑なな哀しみが絆されていく(君の哀しみを僕も背負えたら、というベクトルのvvstだけは別でした)、っていう流れがあって、今回のキリエもそうなのだけど、
今回のなのはだけは周りから向けられてる優しさに自分自身の力で気づけたこと、それに触れて劇的に変わるのではなく変わってゆくきっかけを掴めたんじゃないか、ってこと、
この2つが軸になってこれまでのリリカルなのはとは違う、それはこれまで一番なのはに向き合ってた無印ですら、
と言えるかもしれない新しいアプローチだったのかなぁ、というのが最終的に行きついたなのはちゃんのモノローグの印象でした。
人は急には変われないし変わる必要もない、ただ自分に向けられた優しさや温もりにはまっすぐに向き合うといいよ、っていうネガティブの中にもある前向きな自己肯定とメッセージ。


そしてその優しさはInvisible Heatの「守られているのさ」といったニュアンスに凄く通じるものがあるように思います。
見えない温もり、それはずっと友達から向けられてたものでもあり、内面世界の自分自身からのものでもあり、
今回それに初めて気づいて、ただ自分を好きになれないだけの自分を支えてくれる温もりがある、それにさえ向き合っていれば今は好きになれないままでもいい、
っていう前向きな結論にたどり着けたんじゃないかな、って。そして今ではないいつかその先に、胸に閉ざした全てを叫ぶようなそんな物語が繰り広げられる事もあるのかな、と。
自己否定、というより自己肯定を出来なかった自分の終わりと、愛に向き合う事で始まる心の成長との交差点。いつかは叫ぶよでもそれは今じゃない。



この先続いて欲しいような、少女時代の物語の終わるひとつ綺麗な区切りとして締めて欲しいような、複雑なところじゃあるんですが、
いつかリリカルなのはってコンテンツが本当に終わるその時まで寄り添い続たいなぁ、と昔考えてた事を改めて感じた映画でした。ありがとう魔法少女リリカルなのは( ;∀;)

フィル・マクスウェルさん

なのはDetonationという物語の悪の枢軸的ポジションの彼ですが、思うに彼は「最後に笑っていればいい」という揺らぎなき信念の為に
その時々で最善と思えることを、最善がダメになった時に次善の策をとれるようなんか色々仕込んでるだけの、どちらかというと善属性の確信犯だと思うんです。
これが悪属性になるとからくりサーカスの白金さん的になってくるのだけど。

そしてそこには「彼にとっての」嘘はなく、その時々に応じて自分が笑えるよう、言い換えると自分を守れるよう自己の認識を変えて全てを真実にしてしまってるんじゃないかな、と。
彼がいい方向と悪い方向どちらに転ぶかは本人の自発的意志ではなく、周囲の扱いが変えてゆくと思ってて、それが最悪の形で転んだのが惑星再生計画頓挫、という結末。



具体的に言及してくと、彼にとって惑星再生計画とテラフォーミングユニットを流用した戦闘機人計画は、
卵と鶏なんかじゃなくまず前者ありきで、もしそれがダメになった場合の予防線としてその技術を応用した軍事利用も出来るような開発をしてるだけだと思うんですね。
少なくとも研究所での彼の暮らしぶりを見ている分には。
そうじゃなければ軍事利用のキーたるイリスがあんなにも幸せに所長や所員達との生活を送れるわけがないし、ユーリが来てからの目覚ましい成果もなかったはず。
別に騙して利用したかった、などではなく、そこには彼が笑って過ごせるような確かな絆があったんじゃないでしょうか。

アミタが最後に考えてた「もし惑星再生計画が頓挫しなければ、再生を諦めなければ彼はあのままだったのか」、パンフ的にはにごしてるけど自分はあのままだったと思います。
彼が裏で軍事利用の為の研究を進めてたのは上が惑星再生に乗り気ではなく、ユーリという確かな可能性がいるにも関わらずどんどん予算規模を縮小している、
という事実があったからで、これは彼にとって惑星再生を志す仲間への嘘や裏切りなどではなく、いつかこの環境がなくなってしまった時に笑えなくならないように別に笑える可能性を模索してただけじゃなかろうか。
そこに今の幸せな絆がなくなってしまう悲しみがない筈はなくて、計画廃止を告げられた後の「最後に笑ってればいいのさ」には不穏さの中にも一抹の寂寥感が確かにありました。さすがは山寺さん。


そんな彼が暴走するトリガーとなった計画廃止と査問、没収というこれでもかってレベルのバッドエンド。
ただ、その後の暴走の苛烈さは彼に対する仕打ちの鏡写し、reflectionなのじゃないかな、とも考えてます。これだけの事を特に罪のない所長に対してやったんだよ、という。
その矛先がなぜ上ではなく罪のない所員達に向くのか 、ってところは、上に対するあてつけもあるだろうけどこれまでの絆への訣別の意味も込められていたんじゃないかと。
次に自分が笑えるよう、これまでの絆に未練などなくこの結末(軍事団体に買われる)は自分の望んでいたものだった、と言えるよう自分の考え方をアジャストして、あるいは笑顔の仮面を被って。
人間たとえ顔だけでも笑っていればいつか感情はついてくるもんです。


その後ぶっ殺されてからは知っての通り、彼が笑える結末の為に徹底的な悪として君臨したりお前を娘にするんだよ!になるわけですが、そうなったのは決して彼自身の強い自発的意志ではなく、
これまでのなのはシリーズのキャラ達のように環境に追い込まれてしまった哀しい悪役、といった性格のキャラなんじゃないか、ってのが最終的に落ち着いた印象でした(スカさんは別)。
個人的には、所員を皆殺しにしたという重い罪があるから昔と同じように暮らす、といった事は無理だとしても、いつかイリスが「私にとってあなたとの絆は真実だった」と言うような、
ちょうどキリエがイリスにそうしたようなある種の赦しがあればいいな、とは思ってます。

なのはRef→Detの物語の軸

Detonation公開されました( ;∀;)


Refからの流れあっての評価ではあるのですが、映画作品としてのエンタメ性は過去最高傑作だと思ってます。
シナリオのLyricalさの軸が多く確かなもので、それが代わる代わる無駄なく繰り広げられて、そしてそれぞれが挿入歌で彩られる、という観てて飽き(る暇も余裕も)ないつくり。

その中でも今回インパクト大きいのはマテ娘とユーリの絆ですが、大きな物語として見た時に一番の軸となるのはやはりキリエとイリスを繋ぐそれのように思います。
キーワードは「嘘」と、嘘が紡ぎ上げた真実の絆、といったところで。


自分がReflectionを観て一番心に残ったのは、キリエというキャラの魅力と、それを騙すイリス、という構図でした。
http://lyrihiro.hatenablog.com/entry/2017/08/29/002320

そしてDetonation、エルトリア衰退の原因は自分が考えてたほどややこしくはなく、物語の着地点も山寺ァ!一本に絞られてたけど、
今回過去作全てと違うのはやはり、騙されて悪事を働いた少女達に作中でその責任が跳ね返ってる展開になってる事だと思うんですね。reflect。
上で書いたキリエのもそうだし、今回結局騙されてるだけ、て分かったイリスもそうだったように思います。
ただ、イリスのそれはキリエの「親を助けたい!」という思いから来た純粋なそれとは違って、復讐だけを考えた結果盲目的になってさらに利用される、
っていう少し意味合いの違うものではあるのだけど。そこすらも山寺ァ!の掌の上疑惑はある。

作中で悪事を働く子達に対するある種の断罪、都築のおっちゃんが今回一番やりたかったのはたぶんこれなんじゃないでしょうか?


そして嘘が紡ぎ上げた絆、これはイリスとキリエのそれに尽きると思います。元々騙すつもりで触れ合ったけど、その嘘を重ねるうちに真の心の繋がりが出来ていく。
それは「これ以上どうしようもない奴にしないで!!」と、キリエに向けた銃口、殺してしまえという操りの声に泣きながら抗う様でも明らかに。
そして出てくる「私はずっと騙していたんだ(だから嫌いになってくれ)」という心の叫び、これはクロノ君のイリス評、最後には生きる事からも逃げてゆく、
という様をまさに表していて心にきました。非情な現実に叩きのめされた時に最後に全てを手放して、見離されて独り楽になりたい、
きっとそんな思いからきた発言で、本来そのまま打ち捨てられてもおかしくないような自暴自棄さ。


そんなイリスに手を差し伸べるキリエ、たとえあなたにとっては嘘だとしても私にとっては真実の絆だった、という叫びはかつてフェイトちゃんがプレシアにかけた言葉がフラッシュバックしました。
ただ、愛すべきどヘタレキリエちゃんがいきなりそんなに心が強くなるわけなんてなくて、それは逃げたい自分を騙して、死ぬような目に遭いたくない心に背いて、
それでも操られて悪事を働くイリスを助けたい一心で圧倒的な力に抗っているんじゃないかと。嘘をついても震えたままでも、ここから逃げたりしない、とばかりに。

結局のところキリエ自身の力ではマテ娘達のようにオーバーキルは出来なくて、なのは達の全力全開に助けられる形になるのだけれど、
助けようと死力を尽くした事実は消えないし、それこそが今回のキリエの成長と言えるのだと思う。
ただ欲を言うと、アミタにはキリエと合流して2人でイリスを抑えて欲しかった、ってのはあるかなぁ。


嘘の繋ぐ絆、ってところでもう1つ重要なのは、所長を取り巻く嘘があるのですがこれはまた別にまとめたい。
思うに、彼は1つも嘘をついてなくて全てが真実なのじゃないかなぁ。

FGO2部2章クリアして特にうなったとこと気になったとこ

グランスノーファンタジー終わりました。
炎の快男児イカレもといイカしたキャッチコピーでしたね。CV若本


今回キャッチコピーが極めて秀逸で、消えぬ炎、というワードがかなり重層的に種々の要素にかかっていたのが強烈に印象に残りました。
パッと思いつくだけでも山嶺の炎、炎の館、愛と妄執の炎、マシュの強い意志、スルトの存在、ワルキューレ達、オフェリアのトラウマと意志などなどなどなど…
炎を主題にした物語は多々あれど、ひとつの物語の中にこんだけ懸けてくるのってなかなか珍しいし上手く活きてたな、ってのがまず抱いた感想です。

そしてそれを束ねて締めるワードに快男児w
このシナリオのキーとなるナポレオンのキャラ、確かに快男児は快男児なのだけど実態は好漢、熱血漢、益荒男あたりが適当なのでは?ってのが正直なとこなのですが、
ここをあえて快男児と締めるセンスにうなりました。もちろんいい意味で。
まずこの第一印象のネタっぽさとシナリオに乗る型月的ギャグって結構相性いいと思うんですよね。
こんなネタっぽい売り出しされたら唐突にギャグされてもそこまで違和感は沸かないよね、ってのと(ないとは言ってない)
そして最後を飾る熱血展開、ここで快男児という言葉の本来の意味を鮮烈に印象づけられる、と。1粒で2度おいしい。
話それるけど個人的にはナポレオンの言動、特に最期はCV若本なんですね。次世代に希望を遺すノリのいい、締めるとこは締めるおっさんといえば若本なんですよ。
若本鯖実装されないかなぁ。


ストーリーについてはほぼ全て楽しめたし、設定について新しく出てきた情報もしっくり入ってきているのだけど、唯一腑に落ちなかったとこ1つだけ挙げるとやっぱ第4節、定めの日。
何であんな安直な理不尽な死から助けました、おしまい!で終わったのか本当に謎。
物語の外、枠組みの話になるのだけど、別にこちらの世界の正義に則って約束された(理不尽な)死を回避する展開自体は全然構わないとしても、
そうやって間引く事に意味がある世界のルールを破る事に対する弊害、しっぺ返しが今回何もないんですね。
女王が罰しない、ってところはスカサハ(どうでもいいけど立ち絵がクソコラっぽくて笑った)のキャラにしっかり裏打ちされてるけども、
間引かない事で当然発生する食糧の問題、約束された死は回避してもいいものなのでは、という希望を与えてしまう事で初めて生まれる死への恐怖、システムへの懐疑、といった話、
あるいは何で私達にそんな希望を与えたのか、と詰め寄るような。今回の主人公とマシュのこの件に対する言動はあまりにも安直で、
これまでもそうだったように自分達の行動がもたらすその世界の人々への影響、責任といったものがここだけは全くなかった。
というか、これまでなら今挙げたような展開になって正義を自問する、だとしてもッ  っていう葛藤や彼等なりの答えを出す展開は少なからずあったのだけどそうならなかった、
その理由は集落に暮らす子供達の変わらぬイノセントさにだけ拠ってる、ってのが、つまらない、面白くない、とかいった感情を超えてなぜそうするのだろう、と凄く不思議でした。
色々とらしくないなぁ、と。


疲れたからここまでにするけどその他要素、シグルドのギミックや戦乙女達、スカサハのキャラやシトナイちゃん!!!!!!!!!!!!!
そしてあのキャラゆえのラスト展開などなど、徹夜でクリアするぐらいにはしぬほど楽しめたので100点満点中10000000点くらいです。万歳🙌